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#イラクレポート16 過去のイラクの戦争から連鎖を止める道を探す
イラン攻撃後の現地の声を届ける
#イラクレポート 16
目下、暫定的な停戦状態が続いています。
クルディスタン地域で続いていたドローン攻撃もしばらく止んでいます。
今日は少し、私・鎌仲の体験も交えながら、大きな視点からこの地域について考えてみたいと思います。
まず、湾岸戦争についてです。
湾岸戦争は1991年に始まりました。当時のイラク大統領サダム・フセインによるクウェート侵攻がきっかけでした。
その背景には、石油をめぐる深刻な対立がありました。
当時、クウェートはイラク国境地帯に広がるルメイラ油田周辺で大規模な石油採掘を進めていました。
この油田は、地下の地層がクウェート側とイラク側でつながっている「共有油層」と呼ばれるものでした。
その結果、イラク側の石油がクウェート側から大量に採掘されているとして、イラク側は強い不満を抱いていました。
さらにクウェートは、OPECで定められた原油生産枠を超えて増産を続けており、原油価格が大きく下落しました。
石油収入に依存していたイラク経済にとって、それは国家存亡にも関わる深刻な打撃となりました。
サダム・フセインは、国営化した石油産業を通じて国を再建しようとしていましたが、公務員化した多くの国民への給与支払いすら難しくなっていきました。
また、クウェートとイラクの間には、長い歴史的な対立も存在していました。
もちろん戦争を正当化することはできません。
しかし、クウェートによる経済的圧力が、湾岸戦争の引き金の一つになったという見方は、多くの研究者によって指摘されています。
私は今回のイラン情勢にも、どこか似た構造を感じています。
現在、クウェートには米軍基地があり、そこから飛び立つドローンがイラク国内のイラン系民兵組織への攻撃に使われていると言われています。
クウェートが中東で果たしている役割についても、改めて考えさせられます。
一方で、ジムネットの現地事務所があるクルディスタン地域は、かつてイラク国内でも比較的安全な場所でした。湾岸戦争時、クルド勢力は米軍と協力してサダム・フセイン政権と対立し、その後もアメリカとの関係を維持してきました。
しかし現在、アメリカやイスラエルがクルディスタン地域を対イラン戦略の拠点として取り込もうとしているという見方もあり、この地域は再び緊張の最前線に置かれつつあります。
大国同士の思惑に翻弄されるのは、いつも普通の人々です。
私は1998年、湾岸戦争の戦場となったクウェート国境地帯のルメイラ油田を訪れました。
そこでは、1991年当時に使用された劣化ウラン弾が、なお地表に残されていました。
私はイラクの人々だけでなく、イラクを攻撃していたアメリカ兵にもインタビューしました。
メリッサという女性は、クウェートに配備された兵站部隊の一員でした。彼女たちは、劣化ウラン弾を使用する装甲車の整備を担当していました。
(映画『ヒバクシャ—世界の終わりに』より)
500人いた部隊の全員が激しい下痢に苦しみ、帰国後、メリッサ自身も深刻な「湾岸戦争症候群」に悩まされることになります。彼女は、多くの戦友たちがその苦しみに耐えきれず、自ら命を絶っていったことを語ってくれました。
「イラクを民主化する」という大義名分。
その裏にあった二重基準に、多くのアメリカ人自身も気づいていたのではないでしょうか。
メリッサは最後に、苦しそうにアメリカ憲法を手に取りました。
「私は愛国心を持って、国のために働いた」
そう絞り出すように語った彼女の姿が、今も忘れられません。
彼女自身、あの戦争も、自分の苦しみも、戦友たちの命も、巨大な構造の中で消費されてしまったのではないか――そんな思いを抱えていたのではないかと、今になって感じるのです。
どれほど多くの兵士たちが、加害者であり、同時に被害者でもあったのか。
この連鎖を止める道を、私たちは探していかなければならないのだと思います。
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