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イラク戦争開戦19年目を迎えて

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バスラ子ども病院の院内学級(2022年3月撮影)

イラク戦争開戦から一年後の2004年、まだ戦闘も収まらず混乱の中、バスラからジナーン医師が来日し、イラクで増加する白血病の子どもたちの窮状を訴えました。
それがきっかけとなりJIM-NETが設立され、現在もJIM-NETはイラクでがんの子どもへの医療支援を継続しています。

バスラやバグダードでの事業は、これまで現地スタッフによる報告が主でしたが、先週より日本人スタッフがバスラに入り、病院の状況や子どもたちの様子を視察し、今後の支援の在り方について病院関係者と話し合いを重ねています。

JIM-NETが支援するバスラ子ども病院には現在もバスラ県だけでなく、近隣の県や遠くから治療に訪れている子どもたちで溢れ、医師たちは常に忙しなく動き回っています。

度重なる戦争と長年の経済制裁で、イラクの保健行政は大きな影響を受け、慢性的な保健サービスの低下がどの地域でも顕著です。
化学療法のための抗がん剤の政府からの供給は必要数の50%、抗がん剤治療と併用する医薬品の供給は20-25%に留まっています。

それに対し、病院は地元企業や慈善団体からの医薬品支援を受けながら、医薬品不足の解消にも努め、病院を増築し、不足する病床も増やすことが決まっていました。
2020年に病院長に就任したウサマ医師(41歳)は日々、多忙を極めながらも「子どもたちの命を守ることが私たちの使命ですからね。」と話し、最大限の医療環境を整えるべく奔走されています。戦争や経済制裁によって齎された禍根は残りつつも、現状をより良いものにしようと動く医療従事者の方々に触れ、私たちがこれからどういった支援活動を行っていくかという大きなヒントにもなっています。

バスラの街の様子はというと、公共サービスや人々の生活状況は必ずしも良いとは言えません。
しばらく収集されずに溢れかえる街中のゴミ収集箱、濁りや塩分を含む水道水、そして喉を突く埃の舞い。イラク政府開発計画において上下水道を含む基礎インフラ整備は国際社会からの支援を受けながら復興を進めていていますが、まだその途上にあるのでしょう。街も人々も、どこか疲れ切った空気が流れ、ある時期から時が止まっているかのような感覚さえ覚えます。

あるタクシードライバーは、「この仕事だけで本当に生きていくのが大変だよ。同年代の友人らも、結婚して5年が過ぎても小さなアパートにしか住めていないし、子どもだってそうそう持つことができない。色々なものが腐りきっている。俺らは疲れてるよ。この状況に、この生活に疲れている。ここ何十年、バスラは疲れている。未来なんてないね。」と淡々と話し始めました。経済状況の悪さを嘆き、「ここ何十年」という言葉から、戦争や経済制裁がその主たる原因であることは想像するに容易なことでしょう。

「ここに来るまでの費用が大変なのよ。バスラもうちも経済状況がずっと悪いから。」と病院内で呟いた患者家族の顔もすぐに思い出されました。
現在、世界では目に見える戦闘が激化している地域も少なくありません。イラクでも散発的に戦闘が起こっている地域もあります。大きな戦闘は日々のニュースになりますが、そうした戦争のその後や中長期的な影響については、触れられることが殆どありません。

戦争が起これば、家が壊れ、人が死に、病院さえも破壊され、病気の子どもたちも治療を受けることができなくなります。目に見える戦闘が無くなっても、医療や教育、インフラの公共サービスは劣化し、心身に傷を負う人々も多くいます。

戦争で傷ついた人々や子どもたちを支える活動を行ってきたJIM-NETは、今後もそうした人々の声を聞きながら、戦争の影響を受け続けるがんの子どもたちを守る活動を続けていきたいと考えています。

バスラで目の当たりにした現状を変えようと日々奮闘する逞しい医療従事者、まだまだ困難な状況下にいる多くの患者及び患者家族の声にこれからも丁寧に耳を傾けていかなければならない、そしてJIM-NETが設立するきっかけとなったイラク戦争の開戦日にあたり、皆さんからの応援をよりよい形でこれからも届けていかねば、と心新たにしています。

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