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イラク戦争15年を語る その② モスルの教訓

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モスルの教訓

リカー先生の登場です。

ー3月20日のことを話してください

 化学兵器が使われるかもしれないから、窓をふさいだり、準備をしました。
みんな一つの部屋に集まってラジオを聞いてました。とても怖かった。戦争というのを私たちはよく知っているから。3月20日には激しい空爆があり、軍の施設が近くにあったので大きな爆発音が聞こえパニックになりました。病院には行けない。がんの子どもが家までやってきたので、注射をしてあげました。なんだかんだ言っても戦争が終わったという安堵感と、サダムフセイン政権が終わったという事実。新しい社会がどう作られていくのかみんな期待しました。

ー占領はどうだったんでしょうか?

 2003年の10月までは、安定していました。
しかし、私の親戚がモスルで最初の犠牲者になったのです。11月14日のことです。
アメリカ軍に対する攻撃が始まり、米軍は犯人を家宅捜査していたんです。午前2時のことです。米軍が屋根からドアを蹴破って入ってきたんです。みんな寝ていたけど、甥は16歳で、プラスチックのおもちゃの銃を飾っていたんです。それで米軍は興奮して、こいつはテロリストだと。それでその場で殺してしまった。5発。2発は肩に、3発が頭に入った。彼らは英語も話せない。
殺してから、米兵は彼をまたいで、父親にIDを出せと。十字架を出してクリスチャンだといっても、聞いてもらえず家族は縛られて、それでようやく通訳を連れてきて、2階から死体をおろして、写真を撮って、救急車を呼んでくれと言ったけれどそのまま。朝の5時に電話がかかってきて、私が行ったときは既に悲劇は終わった後でした。14歳の弟は、そのあと不眠症になり、この事がトラウマになり、結局2年後にその子も死んでしまったんです。家族はISがモスルを陥落させる時に、アルビルに逃げてきて暮らしていますが、お母さんは、精神的にいかれてしまって非常に難しい状態が続いています。

ーアメリカは、狂ったように、殺し始めた。モスルの悲劇の始まりです。

2004年にテロが始まった。
ハイワハダというところに私は住んでいましたが、そこの地域はアルカイダ系のテロリストに感化されていったところです。大きな通りがあり、そこには米軍の戦車があって、攻撃しやすい場所だったのかもしれません。
 彼らは、アメリカに協力する人を片っ端から殺していきました。先ず、最初は通訳でした。しかし、そのうち宗教に代わっていき、2005年になるとキリスト教徒がターゲットになっていきました。首が切られた遺体が見せしめに捨てられ、犬がそれを食っているんです。
私はサラーム病院に通っていましたが、その途中に遺体が転がっておいて、タクシーでそこを通るときは、それを見るのがつらく目をつぶっていました。
 爆弾テロもたくさんあり、車が空を飛んで来るんです。
2004年の8月1日だったと思います。最初の教会を狙ったテロが起きました。7時にみんなミサが終わって出てきた。発電機の前で車が爆発した。ものすごい大きな音がして、みんな真っ黒けになってしまい、誰が誰だかわからない。私は、姪を連れてともかく逃げた。私のお母さんといとこは、焼けて転がってきたタイヤでやけどをしました。私は、3日間耳が聞こえなくなった。母たちを一か月治療しなければなりませんでしたが、サラーム病院はテロでけがした人たちがたくさんいました。
2007年は、宗派対立が最悪になった。もうアメリカなんかどっちでもよくなっていた。
 私には、2005年から脅迫電話がかかるようになった。
SIMカードを変えましたが、数か月後にまた脅迫電話がかかり、そのたびにSIMカードを変えた。
小児がんの子ども達を捨てて逃げられない。
JIM-NETからの医薬品支援で、治療を続けました。がんのこどもは、治療ができても2人の兄弟はテロで死んでしましました。そういう悲しい話をみんな持っています。

ーその後リカー先生は、母と一緒に来日し、現在は信州大学で働く。モスルには、いまだに帰れない。15年間で学んだことは何でしょうか?

 平和が一番大事です。どんなバックグランドがあってもそれを認めて共存しあう。助け合って生きていくしかない。壊すことでなはく、作ることを考える。戦争は、憎しみを作り、悪い結果しか生まない。 国を壊すだけでなく、人間関係、信頼関係も壊してしまいます。助け合うしか生き残る道はありません。

 インタビューを終えて。
JIM-NETは、2003年10月に当時日本国際ボランティアセンター(JVC)に在籍していた佐藤事務局長と原文次郎(現在はパレスチナ子どものキャンペーン在籍)がモスルを訪問。2004にJIM-NETが立ち上がると、リカー医師を通して定期的に支援を続けてきた。しかし、日本からの支援がわかると脅迫を受ける人たちもいて、支援をしていることを隠すことに努めた。リカー先生が日本に避難した後は、薬を送るのも難しくなったが、2010年には治安も安定してきたので、支援を再開。その後2014年にISが台頭してくると、連絡も取ることができず支援は完全にストップ。昨年モスルが解放されると支援を再開した。一年間で約400万円の医薬品支援を行っている。

2003年10月リカー先生が働いていたサラームホスピタル

サダム政権下ではサダム病院と呼ばれており、日本の大成建設が受注し、建設した。
サダム政権崩壊後は、サダムという名前が削られた。

2017年7月、ISからの解放作戦では、有志連合の空爆を受け、病院は激しく破壊された。

今後とも支援が継続できるように、募金を受け付けています。
詳しくはこちら ⇒https://www.jim-net.org/support/

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