ご挨拶
名誉顧問:鎌田 實
2004年8月、イラクの隣国、ヨルダンでイラクのドクター10人と、2日間の医療支援会議を開きました。1990年ころまではヨーロッパと同じようなレベルの医療が行われていました。イラクの医師たちの能力は信頼できることがわかりました。
湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾が、子どもたちの白血病の増加を招いていると、医師たちは推測していました。確かに91年を境に小児がん、特に急性リンパ性白血病が増えています。南部では、無脳症などの先天性異常の増加も顕著でした。しかし、証明のできるようなデータがありません。2回の戦争と10年続いた経済制裁で、調査ができていません。
しかし、どんな薬が足りなくて困っているかがわかりました。どんな医療機器が緊急に必要なのかもわかりました。支援はタイミングが大切です。子どもたちの命は待ってくれません。すぐにヨルダンのアンマンから、イラクのバクダードへの運搬ルートもつくりました。
結成2か月後には、第一弾として、4500万円分の医薬品や医療機器を届けました。
日本から薬が届くことで、平和へ向かう空気がつくられると信じています。2005年2月には第3陣の救援として、血液を分離して血小板輸血ができる新しい医療器材を送りました。
軍隊を増強して、相手を黙らせるのではなく、支援の手をさしのべることで、暴力の連鎖や、恨みの連鎖から抜け出せるのではないかと希望を持っています。
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東京医科歯科大学医学部卒業後、諏訪中央病院へ赴任。30代で院長となり赤字病院を再生。地域包括ケアの先駆けを作った。チェルノブイリ、イラク、ウクライナへの国際医療支援、全国被災地支援にも力を注ぐ。現在、諏訪中央病院名誉院長、日本チェルノブイリ連帯基金顧問、地域包括ケア研究所所長、風に立つライオン基金評議員(他)。武見記念賞受賞。
代表:崔 麻里
このたびJIM-NETの新代表に就任することになりました崔(サイ)麻里です。
JIM-NETは、鎌田 名誉顧問と池住 前代表の下、イラク現地での活動を更に迅速に・適切に行うため、理事会と東京・イラク現地事務所間のコミュニケーションを積極的に図り、議論が活発に行われる努力を続けてまいりました。
特にこの2年間は、目標とした再出発(Restart)、新出発(New Start)を無事に進めることができたように思います。
おかげさまで昨年(2024年)はJIM-NETが設立20年目という節目の年を迎え、これまでの振り返りと今後の活動方針について真剣な話し合いを重ねました。
この場をお借りし、ほんの少し私のことを紹介させて頂こうと思います。
私は、高校三年生の一年間を交換留学生として米国南部の公立高校で過ごしました。
大学入学と同時にある出会いをきっかけに「平和」を願う国内外で活躍される人々とのご縁が広がりました。
この頃の経験は、「肌の色、国籍、宗教は異なってもみんな同じ人間!」ということを気付かせてくれました。
それはずっと私の根っこにあります。
その後、再び米国で暮らしていた時期に湾岸戦争が起こり、それまでは遠い存在だった「戦争」がすぐそこにありました。アメリカ人の友人は親友を戦闘で失い、戦争用語や作戦名を普通の暮らしの中で耳にすることが日常となったのです。
勇ましい報道が続くなか、平和への願いをアピールする手書きのプラカードを手にした人々が、ダウンタウンに集まっていた光景は今でもリアルに覚えています。
帰国後、地元で「平和」や「暮らし」を身近に考える平和事業の企画立案に24年間ほど関わりました。初めての企画がイラクの小児がんの子どもたちの絵画展の開催でしたが、熱心に子どもたちの絵に見入る来場者の背中は今でも私の原動力となっています。
それから約10年後、チョコ募金を広めるお手伝いから徐々に事務局の業務に関わるようになり今日に至ります。
この間、「平和」もその意味合いが人それぞれに異なることを気付かされ、その違いを乗り越えるために対話を重ね、ともに考えることの必要性を学びました。そして「平和」を願う私たち一人ひとりが身近な足元(夫婦、家族、職場など)からの平和の実現を目指し、自分自身の内省を忘れないよう(!?)努力中です。
今後も東京とイラク事務所がフラットに意見交換ができるJIM-NETらしさを失わないよう心掛け、支援者の皆さまへの感謝を現地で必要とされる活動でお返しできるよう努力いたしますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
